音楽プロデューサーの小室哲哉(58)が10日放送のTBS系バラエティー番組「マツコの知らない世界」(火曜・後8時57分)に出演し、自身がプロデュースしたアーティストが席巻した1990年代の音楽シーンを振り返った。

 ヒット曲を次々と生み出した小室は、trfでダンサーを起用することでテレビの音楽番組のカメラ割りの常識を覆したほか、安室奈美恵の「SWEET 19 BLUES」ではジャケットを4パターン製作するなど、これまでにはない挑戦をした。

 小室は「好かれる声もあるんですけれど、極力(万人に)嫌われない声の歌手を選んでいた」として、「がんばればそこ(歌手の世界)にいけるんじゃないか?」と誰もが思えるように、歌手に対しも「(ビブラートなど)うまく歌う部分は止めてもらったりして」いたと明かした。

 バブル崩壊後の日本の音楽シーンを席巻した小室だったが「これほどやられた感はない」と思わせたアーティストが98年末にブレークした。当時15歳の“帰国子女”宇多田ヒカル(33)だった。小室は「Automatic」を聞き、プロモーションビデオを見て「新しいな! と思った」と明かし「アメリカで生まれたときから英語と聞いて、これはかなわないな(笑)。最初の『Automatic』? 何がAutomaticなのかな? 何回か歌詞を追っても分からない。何が自動なんだろう?」と笑い話も交えながら自身が受けた衝撃の大きさを表現。そして「作詞の概念も変えられてしまった。僕には『Automatic』というのが出てこなかったんで、出ないってこと自体、クリエーター側からすると『出てこないんだ…。自分は…』となるんですよ。詞のはめ方とか、ラジオをやっているときのしゃべり方から何から何まで自由で、いいなぁ、うらやましいなぁ。こんな好きにしゃべっていいんだ。この業界で大人になってから、これほどやられた感はない」と当時のことを話していた。